日本各地で甚大な被害をもたらした台風19号の上陸から、昨日 ( 10/19 )で1週間が経ちました。昨日現在で死者 80人、行方不明者 11人、負傷者 396人、避難者 4361人。住宅被害は『 全・半壊 』と『 一部損壊 』を合わせて約 3,500棟、『 床上浸水 』と『 床下浸水 』を合わせて約 52,000棟。そして、多くの動物たちも被害に遭っていることと思います。日に日に明らかになる被害の数々に心が痛む毎日です。
僕が住む市の北部地域でも台風が最も接近した 10/12 の夕方には緊急の避難指示が出され、多くの住民が不安な夜を過ごしました。また、近隣の市でも同様に避難指示・避難勧告が出され、僕も知人らとお互いの安否を確認し合いました。
災害時に何よりも大切なことは、まずは自分自身を守ること。そして、そのために必要なのは正確な情報の収集、それらの情報から判断した適切な行動、そして、それらを支える可能な限りの平常心だと思います。
そして、自分自身を守りながら家族や隣人、友人知人の安否を確認し、助けが必要な人がいたら自分ができる範囲で助け、必要に応じて専門家に助けを求める。
ここまでの段階を経て少し落ち着きを取り戻すことができると、次に気になるのは、自分が住む地域以外の被害状況です。10/12 の夕方から夜にかけてネットやテレビのニュース、各自治体の発令、SNS などをチェックしながら、災害による被害の詳細が少しずつわかってきました。そして、死者が出てしまったことを知りました。
災害が起きて最もつらいのは、災害により貴い命が失われてしまうことですね。僕の周りで被害に遭った方はいませんでしたが、被害の拡大と共に被災者が増えていく現実を知るにつれて、胸が締めつけられるような思いでいっぱいになりました。
人の命を奪い、人の日常を奪うような災害が起きると、為すすべのない現実を前に茫然と立ち尽くし、無力感を感じます。ですが、そんな自分にもできることがある。それは『 想像すること 』。 亡くなった方々、被害に遭われた方々の無念さ、苦しみ、悲しみ、痛み、孤独、不安、恐怖を想像し、心の中で少しでも歩み寄ることです。
長渕剛さんの『 明日 』という曲の中に、次のような歌詞があります。
病気に孤独に不安に恐れ
欲望、鼓動が人間だ
生きることのみ好むから
誰が死んだのかわからない
明日、明日、明日
明日、天気になーれ
明日、天気になーれ
この曲は、長渕さんがご自身の生まれ故郷である鹿児島県で起きた豪雨災害(1993年)や阪神・淡路大震災(1995年)のことを思い浮かべながら作った曲で、長渕さんの15枚目のアルバム『 家族 』の中に収録されています。( このアルバムは 1996年1月1日 にリリースされました。)
この曲を初めて聴いた当時、僕は持病の悪化により入院中で、毎日病室の白い天井を見つめながら『 生と死 』について考えていました。そんな僕の心に『 生きることのみ好むから、誰が死んだのかわからない。』という長渕さんの言葉が強く響きました。本当にその通りだなぁと思ったのです。
それまでの自分は、持病が軽度のレベルに落ち着いてそれなりに生活が軌道に乗ると、つい『 生きることのみ 』好んでしまい、世界のどこかで、日本のどこかで起きた災害についてニュースで知っても、その瞬間は驚き被害の状況が心配になるものの、 “ 忙しさ ” を理由に、 そして、心の痛みを避けるために、それらの災害について詳しく知ろうとはせず、被災者のことをあまり想像しようとしないことがありました。
長渕さんの 『 明日』 を聴いて、そんな自分を省みる時間を持ち、これからは、自分自身が命の危機に直面している場合を除き、どんな時も、被災者のことをできる限り想像しようと思いました。もちろん、自分には自分の生活があるので、時間的にも気持ちの面でもどうしても限りがありますが、自分に可能な範囲で、被災者のことを想像しようと思ったのです。
『 想像すること 』には心の痛みがともないます。その痛みとは、それまでいつもと変わらぬ日常を送り、『 明日 』の予定を手帳に書き、愛する人と一緒に食卓を囲み、自分の人生に明るい未来を描き、あるいは幸せな晩年を描き、あるいは人生の苦しみに耐えながら、『 明日 』という日が来ることを信じて疑わなかったであろう方々の命が突如として失われてしまったことによる衝撃から生じるものであり、そして、自分の人生が終わる瞬間が突然目の前に訪れて死への恐怖や痛み、苦しみに直面しながら亡くなっていった方々への、あるいは、自分が死んでいくこともわからぬまま愛する人にお別れの言葉も言えずに一瞬にして亡くなった方々への、哀悼の想いに他なりません。そして、自分の愛する人やペットを失った方々、突然『 日常 』が奪われてこれから長い期間にわたりつらく不便な生活を強いられるであろう方々のことを思い浮かべ、彼らの心に少しでも寄り添う努力をする過程で生ずる、心情的な痛みです。
今回の台風19号による被害はまだそのすべてが明らかになったわけではなく、明日以降も、ニュースなどで新たな被災者の存在を知ることになるのかもしれません。自分が被災者の方々のためにできることはあまりありませんが、『 想像すること 』は続けていきたいです。
災害が起きるたびに、私たちは「この災害を風化させてはならない。」と思います。ですが、私たちのそのような思いとは裏腹にいろいろな災害が次々に起きるので、目の前の災害に心を奪われて、以前の災害のことを思い出す機会は次第に減っていきます。でも、それはそれでやむを得ないことだと思います。
私たち人間は忘れやすい生き物であり、災害の記憶も当然、時が経てば風化していきます。大切なことは、思い出す機会は減っても決して忘れないこと。そのためにも、災害が起きたときに被災者のことをできる限り想像することが大切だと思うのです。
そして、もうひとつ大切なことは、災害から学び、教訓を得て、次に生かすこと。今回の台風19号についての報道の中で、「 もはや誰もが被災者になりうる時代です。」 というニュースキャスターの言葉が印象的でしたが、今回は自分には何の被害がなかったとしても、いつ何が起きても自分と大切な人たち、動物たちの命が守れるように、できる限りの備えをすることがとても大切だと思います。
コメントを残す